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[0212年07月13日]説明追加 vol.1 :『自然のままの(切り出していない)石の祭壇』についての(旧約)聖書の記述
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
『自然のままの(切り出していない)石の祭壇』についての(旧約)聖書の記述:


  前方後円墳の番組で、この方法が(世界的に独特らしいではないか!)見つかったとの事、恐らくこれらの旧約の律法に則って建造されたのだと私は思っているのだが、番組は巧妙に話をそらしてしまっていました..わずかに悔しいものが残ったので、とりあえず聖書の箇所だけアップしておいていた。

[0212年07月13日]説明追加 vol.1

この《掘り出した石をそのまま使用》し、「祭壇を建造の為に鉄の器具(ノミなど)を当ててその形・性質などを変えてはならない」
という律法の『型』の教えとなっているのは、
つまり、
《主が掘り起こして連なる信徒一人一人に対して、その自然に与えられた「形や性質を変えてしまう」事によって祭壇を簡単に仕上げよう」、即ち、「刃物を当てて変容させてははならない」、「一人一人のあるがままの形状に手を加えてはならない、」、一つ一つの属性を全て最善に使用し、全ての石が組み合わさることによって強固な美しい祭壇にするように、》
という教えらしい。


1、EXODUS 20:25
 25.  And if thou wilt make me an altar of stone, thou shalt not build it of hewn stone:
for if thou lift up thy tool upon it, thou hast polluted it.

出エジプト記 20:25
「あなたがたがもし私に石の祭壇を造るならば、切り石で築いてはならない。
 あなたがもし、のみをそれに当てるならば、それを汚すからである。」


2、DEUTERONOMY 27:5-6
5.  And there shalt thou build an altar unto the Lord thy God, an altar of stones: thou shalt
not lift up any iron tool upon them.
 6.  Thou shalt build the altar of the Lord thy God of whole stones: and thou shalt offer burnt
offerings thereon unto the Lord thy God:

申命記 27:5-6
「またそこにあなたの神、主のために、祭壇、すなわち石の祭壇を築かなければならない。鉄に器を石に当てず、
自然のままの石であなたの神、主に燔祭をささげなければならない。」



3、JOSHUA 8:31
 31.  As Moses the servant of the Lord commanded the children of Israel, as it is written in
the book of the law of Moses, an altar of whole stones, over which no man hath lift up any
iron: and they offered thereon burnt offerings unto the Lord, and sacrificed peace offerings.

ヨシュア記 8:31
これは主のしもべモーセがイスラエルの人々に命じたことにもとづき、モーセの律法の書にしるされているように、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇であって、人々はその上で、主に燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。」



等々...

[Authorised KingJamesVersion/口語訳]


かしこ。

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編集 / 2012.07.08 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
【クリスチャン専用記事】信徒から最も求められる事の少ない大祝福
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
"…through fire that I might become indestructible….Amen."
「火(苦難や試み等)の中を通ることにより、私たちがより不滅(な性質だけの者)になっていきますように。アーメン。」

金銀は、高温の炉を何度も通過する事により、より純粋になっていき、稀少さが増し、また価値が上がって行く。
また、金銀の酸への抵抗(強酸で溶解や腐蝕しにくい。金は溶けない。)もより純化にて強くなる。この純化の過程は、高温の炉を何度も通過するによる。
金銀を製錬する炉に鉄や鉛を入れても消滅(?)します。石ころや木片はなおさら。
こうして私たちの中の低級ミネラルやその他は焼けていき、金銀...が残るのが精錬の過程。
この金銀...が、私たちの人格の性質のこと。
より高くなります。


の清め』=破壊目的との大きな違い…


金(きん)の場合、それが完全に純粋になり(99.999…%でなくて100.00%)になると、最早金色でなくなり、透明な物質であるそうです。

ところが、いざそんな苦難の炉に入りたいと願っても、自分からは決して得る事が出来ない(!)。
炉の中では、辛すぎて何とか出たい、その様なものの無い毎日を願ってみたりしますが、苦難の場は、恵み(プレゼント)の様に、催促しても貰えないのです。しかも、プレゼント同様に、わざと自分で作っても何の価値も出てきません。
しかし、もし与えられたら、受け取れば確実にそれが大きな恵みである事が証されます。


"Affliction, The Gem Maker"



George Whitefield:
"Come to me O blessed trial, I need thee. For you always draw me to the arms of the
Saviour."


…荒野の幕屋は、外観は、最も外側がじゅごんの皮で覆われ、次いで赤く染めた雄羊の皮→やぎの皮→亜麻布→青、紫、緋色のより糸→青銅→銀→金の順で、純金が最も内部であります。





(注:クリスチャン専用記事デス。私はクリスチャンとして、信仰の違う方々へ一切『助言』などというものをするという発想は頭をひっくり返してもございません。少なくとも私は根がそこまでおせっかいでは無いのです。わたしの記事は、クリスチャンとしての『証』であり、違う信仰の方への助言には出来ませんので、その様な押し付けがましいことは考えたこともありません。
タンカーの乗員が新幹線の車掌に海の事を助言しようとはしません...海の上の話を知らせたりはしますが。)




編集 / 2012.06.19 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
被害報告の積りが書いていくうちに聖書の話に変わった記事
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究


[嫌がらせ被害を訴える積りだった記事が書いていくうちに聖書の話に変わった記事]

「酷い人達って居るんだな…」ともうショックな気持ちの所為で、傷ついて胸が張り裂けそうな位ですが、
またもや今回、
『私自身』が自力ではひっくり返っても想像すら何光年も私の人間性からかけ離れていて思いもよらなかった
凄い事を、その想像すら出来ない凄い事を、
この私が、
思っていたりしていたかの様に…
という、誰か知らない人達の『脳内イメージ』を私にだぶらせるのか、もっと心の深層でそれを私に投影してしまい、自分達自身が自分の投影像に気付かず騙されて、本気で
知りもしないし実際に会った事すら無いこの私の事を、
実際の私自身が想像すらしたくもない、凄い、私には不可能な(!)、
もっと世の中の汚い色々良く私なんかより詳しい人達なら本当にあり得るのかも知れない様な、

私ならDVDですら見たくもない、(…最近ここ5-10年に買ったDVDには日に日に凄いシーンが+15位ですら入っていてスキップして話の筋が解らなくなってでもなるべく見ない様にしたり、
最近は徐々にオカルトイメージが増えて居ます。ニュースでもグァンタナモの様に何故わざわざ見せるのかと思ってしまう映像が増えていますが、
話が脇にそれましたが、

兎に角、私自身でなくて、
誰かの脳内の強烈な悪か何かが処理仕切れずにあるのか、そういうものが
何故、誰のでも、どんなのでも『私』に投影されて、
私自身ではないのに、その自分達自身の脳内イメージが裁かれるべきなのに、
代わりに投影されたスクリーンとされた(例えば典型的な例として)『私』が叩かれたり追い詰められたり、
酷いです!



最も、祭司が皆を代表して捧げる『犠牲』は、
「本来自分達が受けるべき裁きを自分達の『身代わりに』受けて貰う」為の、言わば、神の前に、「私達はこうしました、が 、自分達では相当する裁きを受けられません。代わりにこの犠牲の羊(など)を捧げますので、これに受けさせて下さい。」といって捧げるのが、その本来のアイデアです。

そこで、そんな事を幾らしても自分達が改善されず、従って毎年毎年、大祭司が至聖所へ代表して一人迫りに行っていました。

新訳は、私達の永遠(とわ)の贖い(神が最終的に全ての人類の罪の受けるべき裁きの全てを余さずご自身に、その子なる神へ下し、それをそのまま子なる神は受け留め、しかも、自身の罪が無かったから可能であったところの、贖いの『完成』を果たした証拠に復活された、永遠の勝利主イエスさまが、おられるのです。だから、この方を受けるなら救われ、もう果たされたこの完璧な贖罪をなおかつ受け入れないなら、もう後にも先にも贖罪は残されて居ない為に、サタンとその使いが行く為に(本来地獄は『人間用』では無い。が、)それを受けずにサタンに従うならその御使い用にデザインされた地獄という場所へ行く以外に残されて居ません。

荒野で誰でも毒蛇に噛まれたものが見上げたら癒された、あの高く上げられた蛇の像[=民数記 21章] は、私達の主イエスの『型』です。
主イエスを見上げるべきであり、他の信徒等をスケープゴートにして自分の深層を投影し(投げつけ)叩き、追いやるのではない筈です。

ところが、未だに主を覚えず、代わりに誰かを立てて迫害するのは未だクリスチャンとして…(?)私には解りません。 と言っても、一人一人がそうしてしまう傾向自体もさることながら、
誰かが、群衆の目をたぶらかす為に誰かをスケープゴートとして、身代わりに何でもかんでも擦り付けられる重宝な犠牲を(荒野の蛇の像の様に)立てれば、群衆は何時までも(荒野の蛇の像の様に)自分の影を投影してはそのスケープゴートの犠牲を叩き続けて、当の首謀は安全に逃げ切るかも知れません。
私達には全てが見えていないので…


◇I Corinthians 1:5-7
For as the sufferings of Christ abound in us, so our consolation also aboundeth by Christ...

[尻切れトンボ記事]


編集 / 2012.05.30 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
容姿に付いて(最近アチコチで読むノデ
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
[改訂]大変当たり障りがある為一度も触れる積もりがなかった事でしたが、
自らの潔白を証さなければ、アタマが変になった一部の人達の連呼と自分等と関連付けられたくないので、わざわざ言っておきます。

とにかく…↓

私は一切美容整形とかには手を出していません。関心も(余り)ありません。



一種の冤罪で、どこのヒガミ工作員か知りませんが、
もし誰か(私とか)に対して、してもいない「美容整形をしたからだ!」と大嘘の風評流布をされたとしたら、
ある意味でこんなに喜ぶべき冤罪も余り他にありません。
してもいないのに「整形したからだ」と振れ回られたという事は、とりも直さず、間違いなく(!)そんなにまで美しくなったという揺るぐことの無い証言だからだ!

(自分では余りそう思っていない。(ウッシッシ)
自分は大抵皆自分の顔に見飽きているし、誰でも変えたい部分ばかりあるもので、鏡がある限りそれを思い出させられる!)(だが普通それを変えてしまうと何と、元もこも無くなる=神様がされたのが一番。だからその与えられた物を良い意味に強調するメークが一番成功する。他人の方が先に気がつく。
自分の名前が他人と違うから、自分の名前を大切にする。それで自分である事を、次いでに自分の長所特徴も分かって貰うと同じ感じに顔の材料を大事にしてあげましょう~)
だから余り気にしていなかった~!

ずっと若い頃(10代後半)に自分がヤケに化粧映えしてしまうという知られざる事実を発見したが、[余りにも…(そのチョイだけでも)]で逆にいきなりすると恥ずかしくて余り化粧が出来ず、微妙に徐々に化粧をする事によってその致命的な化粧映えの恥ずかしさを避けて来た。そういう人は多い。うちにも他に一人家で無化粧で旅先で家族に内緒でキメテいた人が居ました(笑)。が、渡英中回りの白人に励まされ、ゴリ押しな変化も試したりし乍ら勉強して一般的レベルでならメークをして映えても差程目立たず平気になってしまった。

あと遺伝上年輪が逆に容姿を助けるカタチになり(若い頃から早くその美しいフケ方に憧れて待ち遠しくしていた)。そういう人は多い。若い頃良く年長の世代を立派に見えていいなと思って見ていた。男女関係無く小中学の頃の先生達皆、そう見えていた。

しかも神様が内側から美容を助けて下さいます。
向こうの教会でもよく聞く現実、クリスチャンの方が、主の栄光を写し出すようだ。

自分達もよく知っているのだが、主に深く連なると映え、間違うとドンヨリしてしまう。
持って生まれた材料に関わらず、主へ向う心は既にある材料をまとめて映えさせる。聖書も、材料は足りない事は良い示唆があるが、材料に関わらず、主の栄光が反映された状態は祝福とされています。
持って生まれた材料は一人一人変えられないので、それで何かを裁かれる訳にはいきません。中身の現れでもない。誰もそれに付いての責任は取れず、取る必要もないですが、よく「40過ぎたら自分の顔に責任取れ」と、昔から聞いて居ますから、それは常に脳裏にあった。
つまり、矢張り、人間が容姿に出て来るのは幾らもがいても漏れ出してしまう。これは、材料や若さの話では無い。

世界中に「良くやっている」と言ってあげる表現が老朽化が始まった辺りの人達で醜い老け方さえしていなければ、そんな表現も用意されている。

つまり、そういう年齢になってしまうと、材料自体が衰えて行き、留まるところを知りませんから、もうお手上げです。
ところが、材料が衰えたら、逆に、材料ではないものが若い頃よりよく現れる。

ある牧師のビデオで聞きましたが、ある信徒のお婆さんが居て、その牧師が「あなたは物凄く美しいですね。」と感嘆して言ったところ、そのお婆さんが「そうですか…実はよく言われるんです…」と不思議がっていた、という事です。

だから、起きてると輝き、魂が休むとただの元の脱け殻だけ。

イギリスは割りとそういう美しさを誇り、白髪を束ねて皺隠さず(ところで向うはいちいち誰もあら探ししてけなす人が居ないので人目を余り警戒しなくて良い)、輝いて自分自身で自身の容姿と幸せに共存し、その人だけの美しさに気がつき尊重しあう心というか、一人一人大体極東のようにはケナシグセはないのを骨まで経験して来ました。

大体何故最近は、いい歳の男女までが、容姿とか云わずと知れた話だったと思っていた話を掘り返す風潮なんでしょうね…

誰かがイケメンでも、それでいいではないですか?自分だって「オトコマエだ!」と幸せな人達昔は多かった気がします(ジョークと思われるのか、大笑いされたりでしたが)。女ももっとお互いにおおらかだったきがします。

大体、容姿が何の表現でもないなら、わざわざけなしたり潰したりしないで、誰かの自家用車程度に放って好きな車位に考えていれば良いのに…センスや好みで同じ様な顔材料の人も全く違う人になります…仕草にも左右される、…凄い違いが出ますけどね…こうなると材料のせいでもないし、中身が関係なくもないし。服装の選び方でもその人が現れるし…。 別人には変えられない、本人が現れるのだから。



→ Read more...
編集 / 2012.05.25 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
過去記事:『“DEVIL”の語彙を辞書&古典から』Link
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究

先程出した記事な代わりに

過去記事:『“DEVIL”の語彙を辞書x3&古典x1から…

の紹介のみにしておきます。


編集 / 2012.04.10 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
改訂:ヤコブは信じたから神とレスリンク
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
【改訂(校正)版】

☆アブラハムの孫ヤコブは、神様の大きさを知っていたから、神様(の御使い)と夜明けまで取っ組み合いのレスリングが出来、目的の祝福が貰えた。-創世記32章24-30☆


某巨大掲示板の集団ストーカーのスレッドによると、某ブログで 『集団ストーカーの』ターゲットが叩かれていて激しいらしかったもので、久しぶりに訪ねてみました。

私には、そこに取り上げられている某信仰スレッドがどこにあるかも、何カテゴリーかもわかりません。私は、訪ねた事がなく、わかりません。また、私なら、余りそういう会話(ネット上であろうとリアルであろうと)に熱心でありませんね~。


掲示板に書かれてあるのは、形式上正しい説明の様です。ただ、多いのは(この方という意味ではなく)、本当に経験した信仰よりもよりステレオ・タイプだと、パリサイ派的に、正しい答えはマスターしているが…、というタイプの様な印象を与えかねませんので、注意が必要だなとは思いました。
上記で一番多いのは、熱狂派的に自分を死にモノ狂いでガチガチに自主洗脳させてステレオ・タイプの『型』にはめ、窮屈な姿勢から喋る大変さばかりが伝わり、逆効果をきたすタイプでした。まるでその洗脳型信仰から外れたら信仰が無くなるかの様な、無理な姿勢が伝わりかねませんので。正しい答えをマスターして、それをもって信仰に換えるタイプは、珍しくないです。 信仰から正しい答えに導かれるのでなくて…。

本当は、神様とは、出会いに似ていて、その救いの大きさは、私達のいかなる弱さやむら気をも、私達自身が知る前から知っておられ(例=ヨブ記23:10-12;)、「にも関わらず」ご自身のイニシアティブで救いを「プレゼント」してくれる大きな方で(信じれば)、その大きさのせいで、(横の関係はさておいても)上へは、嬉しくて嬉しくて申し訳ない位嬉しくて、それを主のみ前での「謙遜」と「主を何よりも畏れる(「恐れ」でなく)事になるのであって…。

ヤコブは、主(の「御使い」)と夜明けまでレスリングをしました。最後にヤコブは「自分を祝福するまで立ち去らせない!」と言いましたが、これは、神様と大喧嘩している、或いは、執拗に祝福をネダって聞き入れない態度です。多くの信者が、大それた態度と感じ、身震いしそうでしょう。しかし、本当に相手の愛と大きさを「知って」いれば、安心して喧嘩出来ます。 しかも、ヤコブは自分の要求が純粋なものだったと見えて御使い自身(主だったかもしれない)とレスリングをする心があった訳です。神(の御使い)は決して、そんなヤコブを呪われてもおかしくない態度とは言われませんでした。主(の御使い)は、ヤコブを祝福しました。そんなヤコブの信仰(+主の完璧な愛への安心)は、御心にそぐいました。ヤコブは、イスラエルと名付けられて、次の節目へ旅立つことになったのです。

型に自分を押し込んで、そこからポーズがズレたら自分が信仰していなくなるとか、神様が呪うとか、それは、ヤコブ/また、現在の本物の信仰におけるイスラエルの民は、主イエス・キリストを安心して信仰して居る信仰とは異質なものです。コチコチになるのではなく、信じて救われて嬉しいから、神様に背きたくなくなる…。神様は、唯一私達の隅々まで完全にご存知の全能の主ですが、「にも関わらず」ご自身をそんなアホ化した人類を完璧で決して間違わなく決して変わらない愛の故に、代わりにすべき支払を済まして下さった、大きな神様ですから、安心して信仰します、本当に救われているからです。


どの教会にも、本物のクリスチャンが居ます。私は、その事は絶対的に承知しています。
それと、どの教会が連なれる所かを見つけ、たどり着くのとは、全然別な問題で、帰国後、未だ見つからず、殆ど行けていません。
編集 / 2011.10.31 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
モーセの律法の成就=新約/Fulfilment of the Mosaic Law=New Testament
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究 / テーマ: 聖書・キリスト教 / ジャンル: 学問・文化・芸術
編集中


 私達は、こう学んでいます:「旧約に新約が隠蔽されており、新約は旧約を顕示している。」旧約と新約には、一切矛盾がなく、イエス様は、モーセの律法を廃するためにではなく、完成させるために来ました。 
We learned , “The Old is the New Concealed; and The New is the Old Revealed.”There is absolutely no contradiction between the Old and the New:Jesus has come not to destroy but to fulfill the Law of Moses.  


Jesus as The Fulfillment of the Law  


1: Matthew 5:17-18
17.  Think not that I am come to destroy the law, or the prophets: I am not come to destroy, but to fulfil.
18.  For verily I say unto you, Till heaven and earth pass, one jot or one tittle shall in no wise pass from the law, till all be fulfilled.
マタイ5:7-18
17: わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 18: よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。 



2: Luke 4:17-30
17.  And there was delivered unto him the book of the prophet Esaias. And when he had opened the book, he found the place where it was written,
18.  The Spirit of the Lord is upon me, because he hath anointed me to preach the gospel to the poor; he hath sent me to heal the brokenhearted, to preach deliverance to the captives, and recovering of sight to the blind, to set at liberty them that are bruised,
19.  To preach the acceptable year of the Lord.

20.  And he closed the book, and he gave it again to the minister, and sat down. And the eyes of all them that were in the synagogue were fastened on him.

21.  And he began to say unto them, This day is this scripture fulfilled in your ears.22.  And all bare him witness, and wondered at the gracious words which proceeded out of his mouth. And they said, Is not this Joseph's son?23.  And he said unto them, Ye will surely say unto me this proverb, Physician, heal thyself: whatsoever we have heard done in Capernaum, do also here in thy country.

24.  And he said, Verily I say unto you, No prophet is accepted in his own country.

25.  But I tell you of a truth, many widows were in Israel in the days of Elias, when the heaven was shut up three years and six months, when great famine was throughout all the land;

26.  But unto none of them was Elias sent, save unto Sarepta, a city of Sidon, unto a woman that was a widow.

27.  And many lepers were in Israel in the time of Eliseus the prophet; and none of them was cleansed, saving Naaman the Syrian.

28.  And all they in the synagogue, when they heard these things, were filled with wrath,
29.  And rose up, and thrust him out of the city, and led him unto the brow of the hill whereon their city was built, that they might cast him down headlong.

30.  But he passing through the midst of them went his way,
ルカ4:17-30

17: すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、

18: 「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、

19: 主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。 20: イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。

21: そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。

22: すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。

23: そこで彼らに言われた、「あなたがたは、きっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いて、カペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう」。

24: それから言われた、「よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。

25: よく聞いておきなさい。エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめがいたのに、

26: エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた。

27: また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くのらい病人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。

28: 会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、

29: 立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。

30: しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。

 

 

3: Isaiah 61:1-3

1.  The Spirit of the Lord God is upon me; because the Lord hath anointed me to preach good tidings unto the meek; he hath sent me to bind up the brokenhearted, to proclaim liberty to the captives, and the opening of the prison to them that are bound;

 2.  To proclaim the acceptable year of the Lord,

(Not Ye Fulfilled to this Day:  
and the day of vengeance of our God; to comfort all that mourn;

3.  To appoint unto them that mourn in Zion, to give unto them beauty for ashes, the oil of joy for mourning, the garment of praise for the spirit of heaviness; that they might be called trees of righteousness, the planting of the Lord, that he might be glorified.)
これは主がわたしに油を注いで、

イザヤ61:1-3
1.

貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、

わたしをつかわして心のいためる者をいやし、

捕われ人に放免を告げ、

2. 主の恵みの年と、

我々の神の報復の日とを告げさせ、

また、すべての悲しむ者を慰め、

3. シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、

灰にかえて冠を与え、

悲しみにかえて喜びの油を与え、

憂いの心にかえて、

さんびの衣を与えさせるためである。

こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、

主がその栄光をあらわすために

植えられた者となられる。



 

4: Luke 21:22

22.  For these be the days of vengeance, that all things which are written may be fulfilled.
ルカ21:22
22: それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ 

 

5: Psalm  40:7-10

7.  Then said I, Lo, I come: in the volume of(=”roll of” in Revised Standard Version)  the book it is written of me,

8.  I delight to do thy will, O my God: yea, thy law is within my heart.

9.  I have preached righteousness in the great congregation: lo, I have not refrained my lips, O Lord, thou knowest.
10.  I have not hid thy righteousness within my heart; I have declared thy faithfulness and thy salvation: I have not concealed thy lovingkindness and thy truth from the great congregation.
詩篇40:7-10
7. その時わたしは言った、「見よ、わたしはまいります。書の巻に、わたしのためにしるされています。
8. わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びとします。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」と。
9. わたしは大いなる集会で、救いについての喜びのおとずれを告げ示しました。見よ、わたしはくちびるを閉ざしませんでした。主よ、あなたはこれをご存知です。
10. わたしはあなたの救いを心のうちに隠しおかず、あなたのまことと救いとを告げ示しました。わたしはあなたのいつくしみとまこととを

大いなる集会に隠しませんでした。



6:  Luke 24:44
44.  And he said unto them, These are the words which I spake unto you, while I was yet with you, that all things must be fulfilled, which were written in the law of Moses, and in the prophets, and in the psalms, concerning me.
ルカ24:44
44: それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。 

 

Sample 1 

7: John 19:24

24.  They said therefore among themselves, Let us not rend it, but cast lots for it, whose it shall be: that the scripture might be fulfilled, which saith, They parted my raiment among them, and for my vesture they did cast lots. These things therefore the soldiers did.
ヨハネ19:24

24: そこで彼らは互に言った、「それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう」。これは、「彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした」という聖書が成就するためで、兵卒たちはそのようにしたのである。

 

8: Psalm 22:18

18.  They part my garments among them, and cast lots upon my vesture.
詩篇22:18

18.彼らは互いにわたしの衣服を分け、

わたしの着物をくじ引きにする。 

 

9: Matthew 27:35
35.  And they crucified him, and parted his garments, casting lots: that it might be fulfilled which was spoken by the prophet, They parted my garments among them, and upon my vesture did they cast lots.
マタイ27:35
35: 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、 


 

Sample 2


10: Matthew 21:1-7

1.  And when they drew nigh unto Jerusalem, and were come to Bethphage, unto the mount of Olives, then sent Jesus two disciples,

2.  Saying unto them, Go into the village over against you, and straightway ye shall find an ass tied, and a colt with her: loose them, and bring them unto me.

3.  And if any man say ought unto you, ye shall say, The Lord hath need of them; and straightway he will send them.

4.  All this was done, that it might be fulfilled which was spoken by the prophet, saying,

5.  Tell ye the daughter of Sion, Behold, thy King cometh unto thee, meek, and sitting upon an ass, and a colt the foal of an ass.

6.  And the disciples went, and did as Jesus commanded them,

7.  And brought the ass, and the colt, and put on them their clothes, and they set him thereon.
マタイ21:1-7

1: さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、

2: 「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。

3: もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。

4: こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。

5: すなわち、「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」。

6: 弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、

7: ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。

 

 

11: Zechariah 9:9
9.  Rejoice greatly, O daughter of Zion; shout, O daughter of Jerusalem: behold, thy King cometh unto thee: he is just, and having salvation; lowly, and riding upon an ass, and upon a colt the foal of an ass.
ゼカリヤ9:9
9. シオンの娘よ、大いに喜べ、
エルサレムの娘よ、呼ばわれ。


Sample 3

 

12: Matthew 13:35

35.  That it might be fulfilled which was spoken by the prophet, saying, I will open my mouth in parables; I will utter things which have been kept secret from the foundation of the world.
マタイ13:35

35: これは預言者によって言われたことが、成就するためである、「わたしは口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」。

 

 

13: Psalm 78:2

1.  Give ear, O my people, to my law: incline your ears to the words of my mouth.

2.  I will open my mouth in a parable: I will utter dark sayings of old:

3.  Which we have heard and known, and our fathers have told us.

4.  We will not hide them from their children, shewing to the generation to come the praises of the Lord, and his strength, and his wonderful works that he hath done.

5.  For he established a testimony in Jacob, and appointed a law in Israel, which he commanded our fathers, that they should make them known to their children:

6.  That the generation to come might know them, even the children which should be born; who should arise and declare them to their children:

 7.  That they might set their hope in God, and not forget the works of God, but keep his commandments:
詩篇 78:2
1. わが民よ、わが教えを聞き、わが口の言葉に耳を傾けよ。
2. わたしは口を開いて、たとえを語り、いにしえからの、なぞを語ろう。
3. これらはわれらがさきに聞いて知ったこと、またわれらの先祖たちがわれらに語り伝えたことである。
4. われらはこれを子孫に隠さず、主の栄光あるみわざと、その力と、主のなされたくすしきみわざとをきたるべき代に告げるであろう。
5. 主はあかしをヤコブのうちにたて、おきてをイスラエルのうちに定めて、その子孫に教うべきことをわれらの先祖たちに命じられた。
6. これは次の世に生まれる子孫がこれを知り、みずから起って、そのまた子孫にこれを伝え、
7. 彼らをして神に望みをおき、神のみわざを忘れず、その戒めを守らせるためである。




Sample 4


14: Matthew 12:17-21
17.  That it might be fulfilled which was spoken by Esaias the prophet, saying,

18.  Behold my servant, whom I have chosen; my beloved, in whom my soul is well pleased: I will put my spirit upon him, and he shall shew judgment to the Gentiles.

19.  He shall not strive, nor cry; neither shall any man hear his voice in the streets.

20.  A bruised reed shall he not break, and smoking flax shall he not quench, till he send forth judgment unto victory.

21.  And in his name shall the Gentiles trust.
マタイ12:17-21

17: これは預言者イザヤの言った言葉が、成就するためである、

18: 「見よ、わたしが選んだ僕、わたしの心にかなう、愛する者。わたしは彼にわたしの霊を授け、そして彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう。

19: 彼は争わず、叫ばず、またその声を大路で聞く者はない。

20: 彼が正義に勝ちを得させる時まで、いためられた葦を折ることがなく、煙っている燈心を消すこともない。

21: 異邦人は彼の名に望みを置くであろう」。

 

 

15: Isaiah 42:1

1.  Behold my servant, whom I uphold; mine elect, in whom my soul delighteth; I have put my spirit upon him: he shall bring forth judgment to the Gentiles.

2.  He shall not cry, nor lift up, nor cause his voice to be heard in the street.

3.  A bruised reed shall he not break, and the smoking flax shall he not quench: he shall bring forth judgment unto truth.

font face="Tahoma">4.  He shall not fail nor be discouraged, till he have set judgment in the earth: and the isles shall wait for his law.o:p> 
イザヤ42:1

1.わたしの指示するわがしもべ、

わたしの喜ぶわが選び人を見よ。

わたしはわが霊を彼に与えた。

彼はもろもろの国びとに道をしめす。

2.彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、

その声をちまたに聞えさせず、

3.また傷ついた葦を折ることなく、

ほのぐらい灯心を消すことなく、

真実をもって道をしめす。

4, 彼は衰えず、落胆せず、

ついに道を地に確立する。

海沿いの国々はその教えを待ち望む。

 



 

Sample 5 

16: Matthew 8:17

17.  That it might be fulfilled which was spoken by Esaias the prophet, saying, Himself took our infirmities, and bare our sicknesses.
マタイ8:17

17: これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。


 17: Iasaiah 53:4-5

4.  Surely he hath borne our griefs, and carried our sorrows: yet we did esteem him stricken, smitten of God, and afflicted.

5.  But he was wounded for our transgressions, he was bruised for our iniquities: the chastisement of our peace was upon him; and with his stripes we are healed. 
イザヤ53:4-5

4.まことに彼はわれわれの病を負い、

われわれの悲しみをになった。

しかるに、われわれは思った、

彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

5.しかし彼はわれらのとがのために傷つけられ、

われわれの不義のために砕かれたのだ。

彼はみずから懲らしめをうけて、

われわれに平安を与え、

その打たれた傷によって、

われわれはいやされたのだ。

 


 

Sample 6

 

18: Matthew 4:14-16

14.  That it might be fulfilled which was spoken by Esaias the prophet, saying,

15.  The land of Zabulon, and the land of Nephthalim, by the way of the sea, beyond Jordan, Galilee of the Gentiles;

16.  The people which sat in darkness saw great light; and to them which sat in the region and shadow of death light is sprung up.
マタイ4:14-16

14: これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。

15: 「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、

16: 暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。

 

19: Isaiah 9:1-2

1.  Nevertheless the dimness shall not be such as was in her vexation, when at the first he lightly afflicted the land of Zebulun and the land of Naphtali, and afterward did more grievously afflict her by the way of the sea, beyond Jordan, in Galilee of the nations.

2.  The people that walked in darkness have seen a great light: they that dwell in the land of the shadow of death, upon them hath the light shined. 

 イザヤ9:1-2

1.しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。先にはゼブルンの地、ナフタリの地にはづかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与える。

2.暗闇の中にに歩んでいた民は大いなる光を見た。

暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。

 

 

 




編集 / 2011.04.18 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
almsgiving(revisedabit)
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
First published to my mirror site @19:16
on 21st, March, 2011
[ADDED on 31st/March/2011]


Regarding the Gift of Giving:

Giving is by Cheerfulness, and as a Christian, my understanding and my deeds according to my understanding of the Stewardship of it is, that I give in the following order of priority:...


1, Tithing=Freewill Offering From the Firstfruit
that is Before one ever use any part of it for other thing than
to The Work of the LORD;

2, Freewill offering to my own family/relatives/friends especially when one had already made a promise to offer (includes even a slightest suggestion), but basically according to our Love as a Love Offerings to them, LORD approving;


3, A Freewill offering to a Righteous Cause towards Organized ActivitiesNEVER TOWARDS AN INDIVIDUAL! let alone to somebody I have NEVER MET or KNOWN at all! (which idiot is it to give money to somebody I never met= to a complete stranger?!?).

I have been willing to SUPPORT ACTIVITIES (and NEVER AN INDIVIDUAL!)(wakeup!) & ONLY WHEN the activity's cause was and its truthfulness regarding the actual endeavour and with the appropriate results met the givers' personal criteria, I would be keen to encourage such noble activities and help in a way I can, and would love to support the ACTIVITY(not an individual, but an activity!)(wakeup! which idiot is it "to give money" to somebody you don't know???).

I also think the Bible is teaching that we the ones who are to be disciples of Jesus are to be compassionate towards those who are suffering, and the financial depravity is a devastating thing that can even chip off one's dignity rather directly (miserable, isn’t it?!), which means it is a suffering of a kind that exceeds material deprivity, but also is mental than one might guess. Giving a little help for genuinely in need is a heart of our LORD Jesus. He also teaches us to be a cheerful giver, so we are not "to worry to much" about how it is going to be used. Our duty is to actually give out of loving compassionate heart of Jesus. ("Giving" by its nature is not just "thing&money"; it is in fact a giving of a part of "oneself"-that's why thanksgiving is apt.)
If the attitude and the use of the finance were "evil" behind us, it is NOT our problem, but the consequence of such evil will be given by the REAL SOURCE of the money, which is GOD HIMSELF. Our duty is to actually be faithful and compassionate to those in need.
And if we act accordingly, and if GOD is pleased with it, HE may (in fact He promised to) bless us, not just financially, but bountifully with His many blessings. I hear a lot of Testimonies, as well as my own, that He is FAITHFUL and He gives us bountifully, IF we give out of loving intention though.


We are Stewards and GOD sees whether each of us is a good steward or bad; if good, He will entrust us with more. That probably is the reason why when one person is given much (or "stole" it) but it disappeared within a minute like a vapour, and is always wanting and unhappy (usually an unrighteous gain vapours quicker), it is a typical picture of a bad stewarding, may be. Or not giving their firstfruit...?

I can't say categorically; our sufferings have so many reasons, and mostly the reason is hidden to others. Anyhow, as for the Stewarding and Giving Cheerfully (that means not by demand or with worry&suspicion), GOD loves it when we do it.


The only "income" one should expect are legitimate ones BTW: "Labour Wages" and "Inheritance", and perhaps "the ones with own friends&family thing, things WE ALL know"! [ADDED on 31st/March/2011⇒]AND "Interests."

I myself have ever got NO OTHER "Income" than THE ONES as above; so do the same to others!
I don't expect anything other than these, and let alone (or even never heard of it!) from a complete stranger!!!

All that I "have Given" in the past are found as above as well.
If someone misunderstood in the past and took it as something "personal" and not "towards their worthy activity", then it is their "misunderstanding", and if that was the case, I must state clearly now that I have never given TO AN INDIVIDUAL “I don't really know.
I HAVE actually given some BUT TOWARDS CHURCH OR CHARITY, BUT NEVER TO A PERSON! (I'm not those stupid, thanks!) I give to an activity I want to support.

My Question is this!
Which Idiot is it to send money to an individual whom one doesn't know? For what cause? What good?
I definitely think it's OFF THE WALL...
I think it is even WRONG. It is NOT GOOD.

I think one should expect such help firstly from
1, Family;
2, Relatives;
3, Friends;
4, Governmental Body;
5, Charity Organizations.

And if it still won't solve, do take an appropriate action to let an authority to know that you are in trouble "DESPITE your LAWFUL lifestyle, and let those LEGITIMATE helpers help them survive BEFORE expecting an unknown individual to ever think of sending a pocket money(I don't think there’s any who will do it however)...




編集 / 2011.03.23 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
新しいワインは新しい樽へ
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
Luke5:36-39
And He spake also a parable unto them;
No man putteth a piece of a new garment upon an old;
if otherwise, then both the new maketh a rent,
and the piece that was taken out of the new agreeth not with the old.
And no man putteth new wine into old bottles;
else the new wine will burst the bottles, and be spilled,
and the bottles shall perish.
But new wine must be put into new bottles,
and both are preserved.
No man also having drunk old wine straightaway desireth new:
for he saith, The old is better.
編集 / 2011.02.19 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
Yahooブログから
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
 [2010-10-31  01:36:50]=投稿日現在(2011-01-23)、加害者がどんなに腐敗しているかよりはっきり解って来ましたので、この原文を書いた頃、私はそこまで破壊されているとは思いもよらずに驚きの中でこれを書いていたことを思い出します。 この頃は2チャンネルもあまり知りませんでしたし、内容検索に出てきた関係個所をコピペして記事にする位で、到底内実を垣間見る事もなかった訳ですね。 

《Yahoo Blog より移動》
 
  あ~、...被害者でよかった... 妙な話ですが、そんなことを犯すよりは、襲われた側の方が、襲う者になるよりは良い事です。不思議な話、被害の苦しみは悪事を犯すもののその悪の前には、比較にならないことは直感的に解かるものです。 
  
     私達クリスチャンは聖書の黄金律に付いて教わっており、自分がしてもらいたいように人にもする、されたくないことを人にもしない、事を学んでいますので、人間は普通そうかと思っていたのですが、加害者はどうなっちゃっているのでしょうか?
  自分が一番嫌なことを他の誰かにする? [校正中の今もこれ以上そんな心を知りたくもありませんが。]
    さっぱり、その心が、悪が、すごすぎますが、
  「救われる」と私達が言うのは、もちろん天国への移住権であり、既に「私たちの国籍が点にある」と約束されている通り、地でも、もう救われているのです。その意味とは、罪の「鎖から解かれた状態の事です。クリスチャンも、幾らでも罪に陥り得るし、何も知り尽くしてなどいませんので、すぐ間違えます。
  しかし、罪の重力がもう働きません。
  「信じない者はもう裁かれている、」という意味は、信じた者は、主によってこの恐るべき『罪の力』から解放されていない、という事です。 
過ちの頻度は同じでしょうが、一度あってもそれがくびきのようになっていない、次の瞬間、すぐにそこから開放される、なぜなら、罪の力から、解かれているからです。
  既に裁かれている、とは対称的に、救われた状態とは、この恐ろしい『罪の力』に対抗することが出来ず、犯した事自体に絡まれがちであったものが、イエス様の血潮で解かれているので、もう働いていない、気づいたらすぐに神様を呼んで、あやまちの手前まで回復してくれる事が可能になったのです。
  それ無しでは、人はつい、どんどん悪から悪へ落ち、遂に生きたままの死人と化していってしまいます。 苦しいと思います。
  被害者としての苦しみではないでしょう。加害者として、悪から開放されない、悪に飲まれる、どんどん落ちる恐ろしい状態、つまり、悪いと知っているまさにそれをしないではいられなくなる、「罪の重力」が働いていて、制御できない状態の事を指しており、それが、信じないものの『救われていない状態』という意味です。信じて救われた者も、毎瞬がその重圧的な罪の重さとの戦いではありますが、なぜかふっと、振り払われているのです。主を見上げればよい、という信仰が渡したちんぽ命の中に生きてくださるようになったからです。それは、他ならない、復活のイエス様の命が聖霊によっておられるからです。 主イエス様の血潮がそれくびきを流し、その重力を無効にし、私達を創造の基本的な祝福に戻して行ってくれているのです。
  罪の重力下にいる私達をよーく御存知で、最初から、ご自身が人となって歩み、人としてその重力に逆らって完全に歩むことが可能であることをデモンストレーションして下さり、その上で、私達全てが行き着くはずのむごい十字架刑を変わりに受けてくださったのです。 [マルチン・ルターが "He is my righteousness; I am His sin." と残したそうです。]その上で、行くべき黄泉にまで行き、サタンと対面し、サタンから『死』と『地獄』への鍵をサタンの手から取り返し、それによって復活されて下さり、イエス様のして下さったことを信じられる時、私達の受けるべき代価はそこに於いて支払われた契約に預かります。イエス様が十字架で死と罪の力に打ち勝ってその力は信じる者にとって完全に無効となりました。イエス様は、十字架の上で息を引き取られ、霊を父なる神様にお返しになった時、自主的にそうされたのであり何者も取り上げられませんでした。その際、十字架上での最後の主のお言葉が「完成した。」でした。つまり、主は私達のための贖いを完成され、そこにあずかる全ての者に絡まる死と罪の力を変わりに打ち砕いて下さった、という意味です。 あそこで、サタンは自分の持てる力を全て使って主を十字架に連れて行った筈でしたが、出し切った力も砕かれてしまいました。それで、十字架が、サタンを見世物にする主の凱旋だったのです。悪や、罪には決して出来ないことを完成してくださったのです。 しかも、人となられてわたしたちと同じ姿と力と条件下にあって完成して下さったので、私達がそこに信じて預ることが出来るようにされました。div>
編集 / 2011.01.23 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
EXCERPTSx2「苦難から目を逸らそうとすると心の病気になり易い」
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究 / テーマ: 癒し / ジャンル: 心と身体

 EXCERPTS x2 & SCRIPTURES x2

「苦難から目を逸らそうとすると心の病気になり易い」
という傾向について、
一つ目は1948年出版の信仰書: "BROKEN THINGS" by M.R. DeHaan から、
二つ目は、Dr. M.Scott Peck による 1983年出版の心理学・精神病理学書: "People Of The Lie"
より抜粋。

 自分の苦難と苦悩から目を逸らすために一番手っ取り早いのは、
ゴシップ・噂等、関係のない他人の悪口でそれに置き換える方法。
 それをしている限り(つまり、人のことばかりにかまけている限り)、自分の苦難・苦悩から意識を逸らしていられる。が、それが最も不幸になる方法であり、最も情緒的疾病を引き起こしがち。
だから、どんどん悪口の内容が過激になり、言われている対象の事実から逸脱し、対象の苦しみが増すばかり!
 


There hath no temptation taken you but such as is common to man: but God is faithful, who will not suffer you to e tempted above that ye are able; but will with the temptation also make a way to escape, that ue may be able to bear it. (I Cor. 10:13)   
 あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなた方を耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるからである。
 コリント人への第一の手紙10:13
【口語訳聖書】

An EXCERPT
from
“Broken Things
The Ministry of Suffering-“
by
M.R. DeHaan

1948 M.R. DeHaan
Zondervan Publishing House
Grand Rapids, Michigan

[pp114-115 ]
Chapter 13
Comfort In Affliction


For our light affliction, which is but for a moment, worketh for us a far more exceeding and eternal weight of glory;
While we look not at the things which are seen, but at the things which are not seen, for the things which are seen are temporal; but the things which are not seen are eternal (II Cor. 4:17-18)
 「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
  わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
 コリント人への第二の手紙4:17,18
【口語訳聖書】 


  Why so many Christians afflicted? Why do God's people suffer? These are questions which are asked a thousand times a day by multitudes of God's dear people afflicted and smitten, suffering and languishing, bowed down with grievous burdens and heavy loads. The Bible has the answer, and in the hope of bringing some hope and light and comfort and faith to the thousands of God's afflicted children, we turn to the precious Word of God. Suffering is not an abnormal experience among believers. Rather, the Christians who does not suffer, who does not have a thorn in the flesh, is abnormal.
Jesus said, "In the world ye shall have tribulation," and in Acts we read that we "must through much tribulation enter into the kingdom of God," so let us accept the truth that being a Christian does not exempt from affliction and suffering, and face the fact to be a child of God subjects us to additional suffering, for God does not chasten the devil's children, but He disciplines those who are His very own. "Whom the Lord loveth he chasteneth," and if you are being chastened today, you should be thankful the Lord has set His love upon you enough to chasten you, and that He does not let you drift without His restraining and disciplining hand.

 「なぜ、こんなにも多くのクリスチャンが苦悩しているのであろう? なぜ、神の民はみな苦難に会っているのであろう? これらの問いは、苦悩し痛めつけられ、苦難に会い悩まされ、嘆きに値する労苦と重圧の中で打ちひしがれている愛する神の民によって一日に何千回も問われてきている。聖書に解答はあり、したがって、こうした何千もの苦悩の中にある神の民へ幾らかでも希望と光また慰めと確信を与えることが出来ればと望み、尊い御言葉に聞いてみようと思います。 苦難は、クリスチャンにとっては、異常な体験では決してありません。むしろ、苦難に会わない、この朽ちる身体にとげの刺さっていないクリスチャンの方が、異常なのです。
 イエスはこう言われました、「あなた方は、この世では患難がある。」また、使途行伝では、私たちは「多くの苦難を通らなけれが神の国にはいることはできない。」と書かれてあります。ですから、クリスチャンも苦悩と苦難から免除されているのではない事実を受け入れ、むしろ神の子とされたものとして、余計に苦難にあう現実に直面しましょう、なぜなら、神は、悪魔の子たちを訓練(こらしめ)するのではなく、ご自身の懐の中にいる弟子たちに対してこそ、そうされるからです。「神は愛するものを訓練」する、したがって、もしあなたが今日訓練されているとしたら、それはがあなたを訓練したい程に愛を注いておられるという事ですから感謝すべきで、また、主は、決してあなたの行く先に限度を定め鍛える御手を充てもせずにあなたを彷徨い出させることはないからです。



EXCERPT
From
PEOPE OF THE LIE
The Hope for Healing Human Evil
Chapter Three
"THE ENCOUNTER WITH EVIL
IN
EVERYDAY LIFE"
By
M. Scott Peck, M.D.


1983,
A TOUCHSTONE BOOK
Published by Simon & Schuster, Inc.
New York

ISBN 0-671-45492-7
ISBN 0-671-52816-5 Pbk.
Mental Illness and the Naming of Evil

p123 [Third Paragraph]

  The use of the concept of emotional suffering to define disease is also faulty in several other respects. As I noted in The Road Less Traveled, it is often the most spiritually healthy and advanced among us who are called on to suffer in ways more agonizing than anything experienced by the more ordinary. Great leaders, when wise and well, are likely to endure degrees of anguish unknown to the common man. Conversely, it is unwillingness to suffer emotional pain that usually lies at the very root of emotional illness. Those who fully experience depression, doubt, confusion, and despair may be infinitely more self-satisfied. The denial of suffering is, in fact, a better definition of illness than its acceptance.
「情緒的な苦悩という観念をもって『(精神的)障害』とする事についても幾つもの観点から過ちであるといえる。 私の前著『旅人無き行程』でも触れたことであるが、我々の中の、最も霊的に健康で、しかもより進展した者こそ、比較的平凡な他の大勢が経験するより遥かに苦悩し、また苦難の道へと召される傾向があるという点である。 偉大な指導者達も、賢明かつよくできていながら、同時に一般的な人々には理解されないような度合いの苦痛を乗り越えさせられている。逆に、まさに情緒的苦痛を受ける意思のなさにこそ、通常は情緒的疾病の根本的原因があるといえる。 抑うつ状態、疑念、混迷、また、絶望感等をありのままに経験している者の方が遥かに満足を経験しているようである。苦難を否定することこそが、実は、それを受け入れることよりも、疾病をより的確に説明している。




編集 / 2011.01.09 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
An Exerpt from "BROKEN THINGS" by M.R.DeHaan
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究


An EXERPT
from
“Broken Things
The Ministry of Suffering-“
by
M.R. DeHaan

Broken Things
1948
Zondervan Publishing House,
Grand Rapids, Michigan.


pp53-54


A Broken World


Broken homes, broken hearts, broken bodies, broken hopes, broken health, broken vows, broken lives – what sadness in those words! But this is merely the course of nature. Broken things suggest accidents and calamities. We associate them with disappointments and failure. But all these “tragedies” are known to God, and as we shall see, can be and are utilized by Him so that He brings out of those broken garments something far better, more beautiful, more enduring than that precious thing which was broken at our feet. With the Lord there are no calamities. God knows no disappointments. He knows all things from the beginning, and nothing which happens surprises Him. Knowing everything from the beginning, He has so planned that every broken piece in the life of His own children will fit in somewhere by-and-by in the complete portrait of His eternal counsel and will.


I long ago learned the lesson, but need to remind myself of it constantly, that God makes only what He breaks, and breaks only that which He wants to make. If you are being broken, God is working with you. He is making something, something which will some day astound with its wisdom and beauty. Each time in my life when I have passed through the dark vales of disappointment and have cried in agony, “Oh, why, why must this be?” God has always led out of the gloom into a greater light, and out of the straits always lead into the wide, wide ocean.” The Lord deals with us in that way. The things we thought were the greatest trials and tragedies are found later to be God’s way of bringing us something better. We think broken things are a loss, but God turns them to gain. In nature, broken things are cast aside, but in grace, God will never use a man until he is broken.


編集 / 2010.12.28 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
ChristmasもEasterもバビロニアの神々の祭り
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
 
P/S: 
だからといって、クリスマスは祝ってならない、とまでは思っていない(イースターは少し違うが)。

Easter
は、女神イシター=アシュタルテ=セミラミス=ヴィーナスの祭りで、
Christmasの始まりも、(確かその息子である)タムズ=Tammuzが亡くなった事を悼む冬至の頃の儀式で、太陽神なる(筈)(余り詳しくなろうとも思わないが)その息子=the sonが亡くなったから、日が短くなった、と言う、迷信特有のこじつけの話らしく、その息子が春には蘇るのので、それを待っている...とか何とかいう伝説。クリスマス・ツリーもその関連のwitchcraftの意味合いがあるらしいもの(常緑樹)、また、さんた・クロースの赤い服も、ヴァチカンの儀式で着ている赤と白のケープや衣装(?)(John Paul IIの葬儀にも皆あそこで(Vaticanで)着ていた。覚えているか?)から来たもので、赤は、クリスチャンを迫害して殺した血の色とどこでも読んでいる。
 アメリカ大陸に上陸した頃の最初のピューリタン達の頃は未だこの事実が主流で、クリスマスやイースターは禁止(今のハロウィーンのように、witchcraftとはっきりしていた)らしい。
 アシュタルテ(上記)は豊穣の女神で、イースタータマゴは其処から来たもの。ウサギも豊穣のシンボル(コッコが多い哺乳類だから)。
あとクリスマスリースは女性器でその中につけるろうそくが男性のらしい。ワシントンのオベリスクが前の方のキャピトルの円形に沿って(と言うか向かって)立っているのと同じ意味とかと聞く。

GOOGLE:
[
Christimas & Tammuz
]
[
Easter & Semiramis & Nimrod]:
Nimrod=Genesis10:8[ニムロデ➟創世記10章1節~]

参考書籍:
The Two Babylons:
"-Proof that Roman Catholicism's practice and beliefs came from pagan Babylonian religion... not from Christ or the Bible-"

by
Alexander Hislop

etc....



ついでにこれも:
安息日は金曜日の日没から土曜日の日没まで
 イエス様の復活は、イースターと偶然重なる年ももちろんあるが、イースターではなく(ローマ帝国下で当時の王ヘロデはイースターを祝っていたと聖書にあえて記述がある)、過ぎ越しの祭り過ぎ越しの羊として十字架に架かり、
水曜日の午後に息を引き取られ、~木曜日の日暮れで一日目
木曜日~金曜日の日暮れで二日目
金曜日~土曜日の
日暮れで三日目
三日後の、土曜日の日暮れすぎに(未だ明けていない頃)、復活されて
早朝にマリアが墓を訪ねたら、もう人の力では動かないふさいでいた石が開いていた。

 ちなみに、「御使い」とは、白い聖別されたネグリジェ(?)を着て、鳩の様な羽を付けているヤツとは少し違うようである。
時には人の様な姿で区別しにくい形で助けに来た話も多く、むしろ人間よりずっと力もあるようである。
名画にある(=キューピッド?=キューピーさん?)ようなものでは無く、必ずしも「可憐」では無いようだ。

 ただ、聖書の教えに天使の話や系図等にふけらないで、主に目を注いで行くべきと書いてあるので、興味はあるがその程度で、余りこの点についてはこれ以上深く費やしていない。

編集 / 2010.12.27 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
[告白追記あり!]【忘れない説教 vol.5】:『果樹園の知恵』
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究 / テーマ: Christianity / ジャンル: ライフ
First Posted to my Mirror @ 2010-09-19 13:20:18. 


[告白箇所= xxx(←うそ!) より左側は、うそ!]

忘れない説教 vol.5;『果樹園の知恵』

  何処か忘れたが(←うそ!)覚えていて何時も回想してしまう説教の一つ《その5》:
西の国の何処かでは、成功する甘く芳香な果実の豊作の為に果樹園の主人は、果樹がある程度成長した時点で、ライフルを取り出し、手水をかけて育てた果樹に向かって射ちまくり、果樹に傷を負わせる。これによって、果実がより甘く芳香な果樹が多く実るからだそうだ。
知らない者の目には、この作業が一見した処悪い果樹を始末している様な印象を与える。
神様は愛する者を大切に育てておられる。
http://www.

1John15:2="Every branch in Me that beareth not fruit he taketh away: AND EVERY BRANCH THAT BEARETH FRUIT, 【HE PURGETH IT, THAT IT MAY BRING FORTH MORE FRUIT】."
n/b.:
失恋"fruit" ≠ size of congregations; number of proselytes; carnal success; accumulation of possession, popularity, limelight, or finance...or alike...
黒ハート"fruit"(=singular)(Not "fruits")=Fruit of the Holy Spirit; the ministering to "the LORD"; the growth in the knowledge of the LORD's heart...





編集 / 2010.09.19 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑
【復刻】EXERPTSx4 from "Churches of God"-
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
[First Posted on 2010-07-18 21:16:28][Reposted on 2010-07-27 22:17:00-ish]

Church & Churches vol.1

1, EXERPTS from
"Prophecy's Last Word: -An Exposition of the Revelation-"
Frederick A. Tatford,D.Litt., [p.158].
1947, Pickering & Inglis Ltd., London.

2, EXERPTS from
"Believers' Unity: -Organizational or Spiritual?-"
Theodore H. Epp, [pp.69-70].
1971,The Good News Broadcasting Associations, Inc.,
"Back to The Bible Broadcast, Lincoln, Nebraska.

3, EXERPTS from
"Churches of God: -A Treatise For The Times-"
G.H. Lang, [pp.96-97].
1959, The Paternoster Press, London.:

4, RELATED SCIPTURAL ACCOUNTS (unexhaustive)
[ ヨハネ15:20,25 - 16:1-3 ; 1 コリント 4:9 ; ヘブル 10:30-33 ; ルカ 21:10-19 ; イザヤ書 59:13-15 ; 黙示録12:12-17. ]

_______________________________________________

1, EXERPTS from "Prophecy's Last Word: -An Exposition of the Revelation-"
by Frederock A. Tatford,D.Litt., [p.158].

" The age which these saints lived was peculiarly one when falsehood reinged. The Man of Sin will come "with all power and sign and lying wonders" (Greek, pseudos), deceiving the masses, who, under a divinely-permitted delusion, will "believe the lie" (Greek, to pseudei). Counterfeits of God and His Christ will be the object of universal worship: falsehood will prevail. In the midst of such conditions, in the mouths of the 144,000 was found "no lie" (Greek, pseudo). During the millenium, Zephaniah declares that "The remnant of Israel shall not do iniquity, nor speak lies, neither shall a deceitful tongue be found in their mouth."1 Already the character of that day was evidenced in the Tribulation saints: "in their mouth was found no lie."
They were indeed "without blemish." It is not that they were sinless, but that they had refused to listen to the blasphemous seductions of the evil dupes of Satan or to conform to the will of the Beast or of the False Prophet. As regards the worship of the Beast, they were faultless.
Well might the Christian of the present day find a pattern in these saints of another age. The world is still inimical to spirituality and to God; evil is at liberty and falsehood prevails. The true disciple of Christ will turn with loathing from the boasting and blasphemous pretentions with which he is so often confronted, refusing to sacrifice principle for advantage or comfort; and determining to follow none but the One who is the Truth as well as the Life and the Way."
1 Zeph. 3.13

2, EXERPTS from "Believers' Unity: -Organizational or SPiritual?-"
by Theodore H. Epp.
Chapter 3
The One World Church

[pp.69-70]

-How They Operate-
" The great emphasis on organizational unity can be illustrated from the Bible itself. In Genesis 11 there is a record of a similar movement, partly religious and partly political with an enphasis on unity. God's Word says, "And the whole earth was of one language, and of one speech. And it came to pass, as they journeyed from the east, that they found a plain in the land of Shinar(=the present day "China":inserted by blogger); and they dwelt there. And they said one to another, Go to, let us make brick, and burn them throughly. And they had brick for stone, and slime had they for mortar. And they said, Go to, let us build us a city and a tower, whose top may reach unto heaven; and let us make us a name, lest we be scattered abroad upon the face of the whole earth"(vv.1-4). Important background to Genesis 11 is given in verses 8-10 of the previous chapter: "And Cush begat Nimrod: he began to be a mighty one in the earth. He was a mighty hunter before [literally, "against"] the Lord. And the beginning of his kingdom was Babel, and Erich, and Accad, and Calneh, in the land of Shinar." Nimrod's kingdom was so corrupt that in Genesis 11 there was an endeavor to establish a world state in opposition to divine rule. The people wanted to produce a unity so tightly knit that even God could not interfere.
In Genesis 11:3 it is said that "they had brick for stone, and slime had they for mortar." From this we can get a significant application. Brick are made according to one mold; thus, today's eccumenical movement wants every denomination, church and individual to conform to its mold. However, believers are living stones(I Pet. 2:5) and do not fit into the form of the world.

Also, there is much application to be drawn from the fact that at the tower of Babel they used slime instead of mortar - they used a substitute cohesive. The uniting force in true spiritual unity is the Holy Spirit. But He does not unite that which is made according to man's mold. Only those who have received Jesus Christ as Saviour are sealed by the Spirit and have this spiritual unity. The best that natural man can do is to attempt to produce a substitute unity.

3, EXERPTS from "Churches of God: -A Treatise For The Times-"
by G.H. Lang.
1959, The Paternoster Press, London.


[pp.96-97]

" These measures require much spiritual vigour for their successful application, whereas excommunication is too often but the resort to force by those who are officially powerful but morally impotent, and this not by any means in the Church of Rome alone.
The bitterness, strife, and chaos which have been the direct outcome of mutual excommunication challenge the method as being not of the Lord. The misguided brother is seldom recovered; most frequently the evil is aggrevated rather than cured, and so other conditions are induced worse than the error itself.
Upon this question we have dwelt at length, because, if we mistake not, it will become increasingly urgent in the future. The present affiliating of denominations is likely to issue finally in a vast corporate religious organizations which will fulfil the requirements of Rev.17, and which will be wholly not of God; it will result in the enlightened and faithful children of God now in the bodies in question being forced out of them in loyalty to religious forces, he will work untiringly to divide the people of God further by hindering the unity of those who are really Christ's; one of his old and trusted weapons will be mightily employed, namely, persuading saints that agreement in creed is more important than brotherly love, that seeing eye to eye must take precedence over the possession of a common family life and is of greater moment than devotion to Christ and His interests. It deserves to be most widely known, as a fact not open to question, that the requiring acceptance of specified doctrines as a test for Christian fellowship did not obtain until several generations later than the apostles. Dr. Hatch has indicated that the practice was derived from the Greek schools of philosophy,1 an anti Christian origin, sufficient to condemn the practice as heathen and human, not Divine and Christian."

1 Hibbert Lectures - The Influence of Greek Ideas and Usages upon the Christian Church (330 et seq.)



4、RELATED SCIPTURAL ACCOUNTS


John 15:20,25-16:1-3
If ye were of the world, the world would have loved his own: but because ye are not of the world, but I have chosen you out of the world, therefore the word hateth you.
...

But this cometh to pass, that the word might be fulfilled that is written in their law, Thay hated me without a cause.
...
These things have I spoken unto you, that ye should not be offended.
They shall put you out of the synagogues: yea, the time cometh, that whosoever killeth you will think that he doeth God service.
And these things will they do unto you, because they have not known the Father, not me.
ヨハネ15:20,21,25-16:1-3
「 わたしがあなたがたに『僕がその主人にまさるものではない』と言ったことを、覚えていなさい。
  もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。
  また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。
  彼らはわたしの名のゆえに、あなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。
  それは、わたしをつかわされた方を彼らが知らないからである。
  ...
  それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。
  ...
 わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまづくことがないためである。
人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。
 更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。
 彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。」
【口語訳】
「 これらのことをあなたがたに話したのは、ああなたがたがつまづくことのないためです。
 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、
 そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。
 彼らがこういうことを行うのは、父をもわたしをも知らないからです。」
【新改訳】


I Corinthians 4:9
For I think that God hath set forth us the apostles last, as it were appointed to death: for we are made a spectacle unto the world, and to angels, and to men.
1 コリント 4:9
「わたしはこう考える。 神は私たち使徒を死刑囚のように、最後に出馬する者として引き出し、こうしてわたしたちは、全世界に、天使にも人々にも見世物にされたのだ。」
【口語訳】

Hebrews 10:30-33
For we know him that hath said, vengeance belongeth unto me, I will recompense, saith the LORD. And again, The LORD shall judge his people.
t is a fearful thing to fall into the hands of the living God.
But call to remembrance the former days, in which after ye were illuminated, ye endured a great fight of afflictions;
Partly, whilst ye were made a gazingstock both by reproaches and afflictions; and partly, whilst ye became companions of them that were so used.
ヘブル 10:30-33
「「復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と言われ、また「主はその民を裁かれる」と言われたかたを、わたしたちは知っている。
 生ける神の御手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである。
 あなたがたは、光に照らされたのち、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してほしい。
 そしられ苦しめられて見世物にされたこともあれば、このようなめにあった人々の仲間にされたこともあった。」
[口語訳]


Luke 21:10-19
Then said he unto them, Nation shall rise against nation, and kingdom against kingdom:
And great earthquakes shall be in diverse places, and famines, and pestilences; and fearful sights and great signs shall there be from heaven.
But before all these, they shall lay their hands on you, and persecute you, delivering you up to the synagogues, and into prisons, being brought before kings and rulers for my name's sake.
And it shall turn to you for a testimony.
Settle it therefore in your hearts, not to meditate before what ye shall answer:
For I will give you a mouth and wisdom, which all your adversaries shall not be able to gainsay or resist.
And ye shall be betrayed both by parents, and brethren, and kinsfolks, and friends; and some of you shall they cause to be put to death.
And ye shall be hated of all men for my name's sake.
But there shall not an hair of your head perish.
In your patience possess ye your souls.
ルカ 21:10-19
「 それから彼らに言われた、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。
 また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。
 しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、
 わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。
 それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。
 だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。
 あなたの反対者の誰もが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。
 しかし、あなた方は両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。
 また、あなた方の中で殺されるものもあろう。
 また、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。
 しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。
 あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。」
[口語訳]
「 それから、イエスは彼らに言われた、「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
 大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現れます。
 しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがた捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、
 わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。
 それはあなたがたのあかしをする機会となります。
 それで、どう答弁するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。
 どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。
 しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。
 中には殺されるものもあり、
 わたしの名のために、皆のものに憎まれます。
 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。
 あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちをかち取ることができます。」
[新改訳]


ISAIAH 59:13-15
In transgressing and in lying against the LORD, and departing away from our God, speaking oppression and revolt, conceiving and uttering from the heart words of falsehood.
And judgment is turned away backward, and justice standeth afar off: for truth is fallen in the street, and equity cannot enter.
Yea,truth faileth; and he that departeth from evil maketh himself a prey. And the LORD saw it, and it displeased him that there was no judgment.
イザヤ書 59:13-15
「 われわれは、そむいて主をいなみ、
 退いて、われわれの神に従わず、
 しえたげと、そむきとを語り、
 偽りの言葉を心にはらんで、それを言いあらわす。
【英語欽定訳では、
 「主に対して罪と嘘とをもってなし、神から遠ざかり、
  圧迫と反乱を口にして、
  心の中で芽生えた、偽りの言葉を口に出す。」】
 
And judgment is turned away backward, and justice standeth afar off:
for truth is fallen in the street, and equity cannot enter.
Yea,truth faileth;
and he that departeth from evil maketh himself a prey.
  公平うしろに退けられ、
  正義ははるかに立つ。
  それは、真実は広場に倒れ、
  正直は、はいることができないからである。
  真実は欠けてなく、
  悪を離れる者はかすめ奪われる。
【英語欽定訳では、
 「また、正義は退去させられ、公平ははるかかなたに立ちすくむ。
  それは、真実が公道で倒され、平等は出番がない。
  そうである、真実が倒される; 
  そして、悪から遠ざかる者自身が、餌食になっている。」】
主はこれを見て、
公平がなかったことを喜ばれなかった。
主は人のないのを見られ、
仲に立つもののないのをあやしまれた。
それゆえ、ご自分のかいなをもって、勝利を得、
その義を持って、おのれをささげられた。」
[口語訳]


Revelation 12:12-17
Therefore rejoice, ye heavens, and ye that dwell in them. Woe to the inhabiters of the earth and of the sea! for the devil is cast down unto you, having great wrath, because he knoweth that he hath but a short time.
And when the dragon saw that he was cast unto the earth, he persecuted the woman which brought forth the man child.
And to the woman were given two wings of a great eagle, that she might fly into the wilderness, into her place, where she is nourished for a time, times and half a time, from the face of the serpent.
And the serpent cast out of his mouth water as a flood after the woman, that he might cause her to be carried away of the flood.
And the earth helped the woman, and the earth opened her mouth, and swallowed up the flood which the dragon cast out of his mouth.
And the dragon was wroth with the woman, and went to make war with the remnant of her seed, which kept the commandments of God, and have the testimony of Jesus Christ.
[King James Version]
黙示録12:12-17
それゆえに、天とその中に住む者たちよ、
大いに喜べ。
しかし、地と海よ、
おまえたちはわざわいである。
悪魔が、自分の時が短いのを知り、
激しい怒りをもって、
おまえのところに下ってきたからである。」
龍は、自分が地上に投げ落とされたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。
しかし、女は自分の場所である荒野に飛んでいくために、
大きなわしの二つの翼を与えられた。
そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。
へびは女に後ろに水の川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。
しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍がその口から吐き出した川を飲み干した。
龍は、,女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために,出て行った。
[口語訳聖書1954]


編集 / 2010.07.27 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
【復刻】 改訂 マタイ13章 [2010-05-27 13:53:30]
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
 [First Posted to my mirror @ 2010-05-27 13:53:30]

マタイによる福音書 13章

  ブログを読んでいて、クリスチャンじゃない人達が「キリスト教徒は、悪魔教徒の言いなりの、何でも信じる操り人形」の様な事を書いているのを何度となく見つけましたが、私はクリスチャンとして、しかし、そう言いたい気持ちも、よく解る事があります。
そんな状態になってしまったのだと、嘆かざるを得ないかもしれないです。
もし、そのように言われても当然な者が多いのが事実であれば、そうである、と、肯定すべきです。
ただし、よく吟味もします。


  本物のクリスチャンが可成り少ないからこうなるのです。現在の日本の場合も、クリスチャンではない人達が本物ののクリスチャンに出会う機会が一体どれだけあるかとなると、余り多くはない筈です。

  ここにマタイによる福音書第13章の譬が成就しているのです。
これらは、初代の本当の教会が、どの様にして、内部への進入によって、本来あるべき教会から以下に離れていくことになったかの、歴史に証拠を残す、教会の現代に至るまでの、変遷を予告した七連の譬です。

  マタイによる福音書第13章の7つの譬とは:
1、種まき
2、麦と毒麦
3、からし種
4、パンだね
5、隠された宝
6、良い真珠
7、漁師の引き網

です。

 1、は、福音が世界に伝えれらていった際の譬です。それを受けた個人や民族によっては、この譬の様な様々な土壌があり、福音の種が芽を出さなかったり、直ぐに芽を出したのに直ぐ枯れたり、弊害が起こり過ぎていて成長しなくなったり、或いは良い土地だったのでよく伸び、実を結んだ、といった事の譬です。

 2、は、次の段階です。麦畑に、或る時、見た目のそっくりであるところの毒麦も一緒に(同じ場所に)蒔かれてしまっていたのを僕が見つけた話で、これは偽の教理が入り込み、本物の福音との区別が中々つかない状態にされてしまった、初期の教会事情を語る譬です。ちなみにこれらの譬はイエス様が語られたもので、こういった事が実際に起きる以前に忠告の形で教えられていた、云わば預言的な譬のシリーズです。毒麦が実際に本物の麦畑に落ちる事に因る農業上の問題も当時のパレスチナでは実際にあった問題で、歴史上、この譬の通りに、偽教理がどんどんと教会を侵食していったのも実際あった事柄で、これらの預言は今日に至るところまでは、全て成就しています。

 3、は、からし種の譬で、一番誤って伝えられた譬の一つでしょう。この譬は、本来はハーブであるところのからしが、パレスチナでしばしば特有の病気により異常な成長を始め、木のサイズになってしまう事があるそうです。
 又、空の鳥が宿る程にまで大きくなる、とありますが、聖書では、又、中東では、『鳥』は不吉な事柄の象徴だそうです。
 又、鳥は、サタンの悪霊を指す型でもあります。即ち、この譬は、本来ハーブの様な性質のクリスチャンの教会の集まりが、異常を起こし、病的な規模に膨れ上り、余りに大きくてサタンが巣を作り住み着く程のサイズになるという預言的譬で、実際に中世には、そこまでに膨れ上がりました。

 4、のパンだねの譬は、女がパン粉をこねる譬です。こねる時、パンだね(酵母)が入り、膨れてしまったわけです。既にご存知のようにパンだねは罪の象徴に使われるシンボルです。パンや麦は、御言葉の譬ですから、御言葉に混じってはならないものが混じった状態なのに、『女』は捏ねつ続けます。
 何故、教会は真性イゼベルの存在に気がつかないのでしょう? 大きな理由の第一は、真性イゼベルというものは、一見そうとは思えない人間だからです(それは女に限らない)。そうでなければ、そうそう騙されてばかりいません。そんなアホな教会リーダーが多くないのにです。教会史上、3、のからし種にあるように巨大化したキリスト教会が、次に堕落の一途を辿ったのが、聖書の中身が崩されていった事に因ります。これでもう、入ってきた人も、何が本当の聖書の教えだったのか皆目見当がつかないところまで、酵母=偽りの教えが混入してしまい、本物のパンを実際に食べて知っていない限り、誰にも、何が一体本当のキリスト教だったのか、識別出来ないところまで膨らみ、何処をちぎって取っても、酵母の性質で膨れていないところがない状態です。

 5、
 6、は、簡単に言えば、本物を見つけるのがいかに稀で難しいかの譬です。もっと詳しい内容は、ありますが。

 7、は、簡単に言えば、2、の毒麦の譬と平行して、最後の最後になるまでは、本物も嘘者も完結的には分けられないという意味です。

同時に、本当のクリスチャンは、名画等の御伽噺を信じるのではない為、名画に出てくるような姿のイエス様のような、そういった固定観念や先入観を、注意ぶかく棄て、本物の、生きたかも似出会います。そして、新婦などに頼らず、自分達で、直接祈ります。

モーゼもシナイ山で、神様から直接律法を受け取ったというのに、一目会って見たいと願うのにも関わらず、通り過ぎられた際の後姿しか見させてもらう事が出来なかった聖なる畏るべき唯一のあの神です...  「想像上のもの」などを信じるのでは駄目だと思っています。

或る若い女性の洗礼に出席できた際の事でしたが、洗礼の証でこんなに力強いものも珍しく、印象深く記憶にありますが、レイチェルはこんな風に言っていました:
彼女にとっての主イエスは、その様な(名画にある様な)イエス様ではなかった、と。彼女が思った主は、黙示録の最初にある様な、即ち、「髪は羊の毛のように真っ白で、雪のように白く、その目は燃える炎の様で、その足は赤熱の真鍮のように輝いており、その声は、大水の轟きの様であった。」
(Re.1:14-15)(私訳)というのです。

 御言葉の教える通りに受け取ることは、大きな力です。
 好みに合わせた解釈は、最終的な助けにはなってくれないでしょう。

(R.S.) 11th、April, 2010.   
改訂・補足=25、May, 2010.

補足=29、May, 2010:
Bibliography:

Pictures and Parables:
Studies in The Parabolic Teaching of Holy Scripture
;
Lang, G.H.,
The Paternoster Press, London (1955)
Chapter x. The Mysteries of TheKingdom(Matt.13)
pp.63-124.

The Prophetic Parables of Matthew 13;
Pink, Arthur W.,
Scripture ATruth Book Company,
Fincastle,Virginia (undated).

The Great Prophecies of The Centuries
Concerning Israel, The Gentiles, and The Church of God,
being selected Expositions and Discussions
;
Pember, G.H.,M.A.,
Editor:Lang, G.H.,
Oliohants,LTD.,
London & Edinburgh. (1941)

Prophetc Mysteries Revealed;
Srauss, Lehman,
Loizeaux Brothers,
Neptune, Jew Jersey.(1980)
ISBN 0-87213-832-1


編集 / 2010.05.27 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
【復刻】 改訂+追記 on 『マタイ13章・七つの譬』[2010-05-27 13:53:31]
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究
[First Posted to my Mirror @ 2010-05-27 13:53:31]

【改訂+追記】  

マタイによる福音書第13章の7つの譬とは:
1、種まき
2、麦と毒麦
3、からし種
4、パンだね
5、隠された宝
6、良い真珠
7、漁師の引き網

です。

2、は、次の段階です。麦畑に、或る時、見た目のそっくりであるところの毒麦も一緒に(同じ場所に)蒔かれてしまっていたのを僕が見つけた話で、これは偽の教理が入り込み、本物の福音との区別が中々つかない状態にされてしまった、初期の教会事情を語る譬です。ちなみにこれらの譬はイエス様が語られたもので、こういった事が実際に起きる以前に忠告の形で教えられていた、云わば預言的な譬のシリーズです。毒麦が実際に本物の麦畑に落ちる事に因る農業上の問題も当時のパレスチナでは実際にあった問題で、歴史上、この譬の通りに、偽教理がどんどんと教会を侵食していったのも実際あった事柄で、これらの預言は今日に至るところまでは、全て成就しています。


  主人が、収穫の時迄分けないように、と指示しした理由としては、あわてて分けようとして、麦まで抜いてしまうからだと言っています。
  それは、根が分けられないくらいにお互いに絡み合ってしまっていることも理由です。
  地下で根が絡み合っていて、本当の麦の根まで繋がって抜けてし合うのも理由ですが、その前に、この麦と毒麦が殆ど外見上見分けをつけ難いのが、第一の理由でしょう。

   収穫期が迫ってやっと判る変化がどういうものかというと、本物の麦は実ってくると穂が重くうなだれてしまうのです。
  稲を見ているのでよく想像がつきますが、同じような形態です。
一方、毒麦の収穫時の状態は、熟すと逆に大きく穂が上に伸び、ぴんと立ち聳えてくるそうです。
  しかも話しによれば、黒づくという説明もあります。
で、収穫期のその麦畑を見渡した際に目に入るのは毒麦で、そのハザマで立派な実をうなだれている本物の麦が、一見見えないのです。

  この譬の、「畑は世界をさす(である)。」)と書かれてあります。(13:38)わたしは、教会内の事についての譬とばかり思っていたのですが、よく読むと、畑は教会ではなく、世界です。
であれば、教会内の本当の信者とそうではないものとについてではなく、世界全体についての譬です。

  その畑で、クリスチャンもそうではない人達も一緒に生えていることです。それでも、言えることは変わらず、今の時点では早急に誰が麦で誰は毒麦かは誰も決め付けないように、ということになります。

  また、この譬で特記すべき点は、「収穫期になると、全て刈られる」ということです。どれも(世界という畑に)生え続けていない事になります。
皆が、刈られ、
「先ず毒麦を集めて束にして焼き、(13:30)と書いてあります。
その次に、
「麦のほうは集めて蔵に入れてくれ、」(13:30)
となっています。

被害者であることによって、逆に護られていることもあるという事かもしれません。
編集 / 2010.05.27 / コメント:: 0 / トラックバック:: - / PageTop↑
"Earth's Earliest Ages""
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究 / テーマ: 聖書・キリスト教 / ジャンル: 学問・文化・芸術

Earth's Earliest Ages
and
Their Connection With Modern Spiritualism and Theosophy
George Hawkins Pember
General Books LLC
2009-12-16
3394874Rank
$31.73

See details at Amazon

Write an introduction

Customer reviews2010:05:02 22:46
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  G.H.Pember's books have not been well circulated despite the relevance to the time where we are living, which is a very spiritually troubled age.

  This is one of the volumes of the 19s Century British Theologian (1837- 1910). The actual volume of this book, which I have, is 494 pages. A theological work of a high and meticulously well researched heavy-weight depth.

  Pember, though being as a 19th Century British theologian, discovers the very origin of even Eastern religions, one of which by the name of Buddhism, and their spirits as being found in the earliest of the earth's creation. The sharp, discerning eyes of this scholar leaves hardly any area to whcih he had not treaded in the researching into the realm of the spirits.

  He is also one of the earlier period of the theologians who gathered enough hidden and rare documentation of activities of then Catholic churches and its connection to the occult and sorcery, including the clandestine "Initiations" into "lesser and to greater mystery" for the Catholic Priesthood that is NOT of Christians, all of which are well documented in each of his work.
[by Blog Host: R.S.]




編集 / 2010.05.02 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑
A Scar in an Oyster(copied from past log)
カテゴリ: ◇Bible Studies/聖書研究 / テーマ: Christianity / ジャンル: ライフ


My Journal

upon reading
"The Rumour"(p138)
and also relating to
"Matthew 13:45-46" & "Mark 14:3-9".


by Blog Host:"R.S."
on 13th, April, 2010.

The text says:
" ... Nobody, he writes, is invulnerable to the power of the rumour and all the "juicy" stories. For they "are not made merely by incidents, nor by the false and careless words; nor by Axis agents; they are a part of the stuff which is inside those who listen to them"... "
("The Rumour, p138")

   However, the problem that needs be solved is NOT so much about understanding of the mechanisms and the universality of this "rumour mills", neither is it about its psychological analysis: The quest is "why we" became the targets(subjects) of such apparently calculated "rumour campaigns" and "why" the targets' lives were so thoughtlessly and so thoroughly ruined that way, and "whether" the lost times and all the rest of the precious things that were removed from us ever are going to be in some way redeemed in as tangibly as the rumours took place was reality. We were chosen as the recipients of this heartless and senseless "rumour-mills", but we are the same humans and we exist in reality with a whole same set of human dignity as anybody else has.

   Most of the victims' lives are so fundamentally ruined that even if the lies about us in the form of rumours are cleanly removed and were to be amended by the truths of our real lives, the time lost will never come back to us; but even more tragic is the fact that it has made a penetrating scars in our psyche.

   It, I am certain, is redemptive, and the scars to our hearts are not necessarily ugly ones, which are no less valuable than the scar that is made inside an Oyster shell, or an alien object that reached inside of it, it is the rumour itself which was spread about us is an alien to us, and it at least has a capacity to form the ether pearl in the innermost recesses of the souls of the victims. This I am certain. (But I will not let the person who did not go through this process thus not having the pearl inside to agree with with me that easily and vainly.)

   What about the negative side to this ruin that still remains with needs to be redeemed? It, in addition to the lost time, is the change in our perception of life in general. This is not necessarily a deformation: We all change after every turn of our lives and will never be able to go back the same again, either in good or bad. We can make this scar likely; whether to the good or to the bad.

   The change that was made in the victims' souls after this massive and calculated rumour campaign is by a kind of new insight to the world in general, and it had our eyes opened to the utter vanity of the temporal limelight in a span of one life story. We cherish some aspects of it as much as we lost it as we received the totally opposite thing so abruptly. Still the realization, or the eye-opening shift, of our souls to see through life's incidents as temporal and vain as these really are, enabled us to begin to seek different things in the remaining life. "They" might still provoke us to lapse into running for the same limelight of the stage of, say, the "vanity fairs", but we seem to have been established in more real and lasting value system "than before" so thoroughly that no provocation by the Prince of this World might inflame my soul to that kind of aspirations any more again.

   This, too, is one of the most typically misunderstood trait, because most people have never had to go through this transformation in their lives. This means that we find few to support or explain on our behalf why this could ever be true to a person to see things this way at all. But it is true, that after the refining, our souls can go to the sightings that made us witness the vanity fairs as they really are, and the far more precious than a pearl is found in other places where few people are looking for. Then we sell all what we ever had to buy this pearl. i.e. We sell of the temporal vanity fairs of this world, (and the friendship to "the prince",) which everyone else usually is after, all that once gripped our hearts just as anybody else, were nothing compared to the weight and the worthiness of the pearl that we have found farther away through the temporal. In this way, we rejoice even in our affliction.

   It is when we became able to voluntarily break our costly Alabaster box, to offer the whole contents in it to the Eternal value that cannot be compared to anything "created." He, the true Prince, our LORD Jesus Christ, broke Himself for me there, to save me from the whole lot of worldly junks.
(BLOG管理人:R.S.)

p/s: I find "English" as a language is capable of dealing with things with much higher intricacy...




編集 / 2010.04.28 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑
Profile

mixedtribes(佐々木)

Author:mixedtribes(佐々木)
―可なり執拗な『成り済まし』被害に遭って来ています。どうか、私と名乗る者やそうと臭わせる『変な』通信があった場合は、精密なご調査をお願いいたします。―
 『逆カルチャーショック/Reverse Culture Shock』(=正式名)に重ねられて始まった、
CoIntelPro等とも呼ばれるこの「集団・組織的ストーカー」等への対策用にBLOGを始めました。
 帰国後、家に辿り付いて以来、北海道から一際出ていません。 私自身は一切『街宣』等に参加した事は御座いません。 街宣での自己紹介の中で、私のブログの事では?と連想させるような説明を取り入れることで、まるでその人物が私ではないか、と思い込ませ人違いを促す『成り済まし(風)』にご注意下さい。
 成り済ましが、私の肖像を盗んでやっていた可能性があります。ご注意ください。以前出した事のある子どもの頃の写真を再度以下に貼っておきます。そこにあるのは私の大切な両親ですので、この写真を自分だと偽るために盗用したとすれば、私の大切な両親までをも、自分のだと偽ったことになり、許し難いです。
 太かった事は一度もないです。細くもなく、筋肉質でもありませんが、これらが良い悪い、と言っているのではなく、成り済ましと取り違えられて居たくないため、明確にしています。背は小さいです(が、何故か昔から長身なような印象を持たれがちらしいです)。髪は13―4年、後ろで束ねた長髪で,常に(40年間)前髪があります。
 私は一人っ子です。A型でもB型でもありません。両親は科学者で、ビジネスにも関係なく、また、一切の宗教やましてやカルト・新興宗教とは関連を持っておりません。
私自身が12歳でいきなりキリスト教信仰を持ちました。
 西野のへの字屋根の一軒家の住人で、車は青いスバルです。ここにある写真は私の子供時代のものです。成り済ましが盗用して、自分のだと言っていた可能性があります。ご注意ください。上の四枚は父の要望でこのテーブル付き椅子の上で恰好を付けて学究中ゴッコをしているもの。
 
成り済ましがこのブログを自分のものだと言っている可能性があったので、ここまで公開致します。

[注意]:
大変残念ながら教会には通っていません。また道や人の家への訪問伝道や勧誘は、私の信ずるところと少し意味が違うので、しているのであれば、それはこのブログ主である私ではありません。万が一そのようなものが居り、私のブログを自分のものででもあるかのように言う者が居ましたら、この部分を読ませ、追求しておいてください。ご注意下さい。私に知らせて下さり、少なくとも警察にもご通報お願い致します。
  人が伝道することを批判しているのではなく、しているのは私ではありませんので、騙されないようにして頂きたいと思い書いて居ます。

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❖このブログで取り上げたことのある書籍の一部をご紹介します。 ❖表紙デザインはPemberとG.LeBon以外は手持ちと同じ版を出しています。 ❖E.Hunter,H.Popov,HislopとW.Cooper著の画像は 過去に自分で手持ちをスキャンし記事に出したものです。 ❖自分のPemberとLeBonは初版かそれに近いアンチックなので、 代表的に流通している画像を使って紹介します。
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